お手軽志賀直哉『小僧の神様』の備忘録 ~善行の心理~

・まえがき

明日から城崎温泉へ旅行するのだが、どうやら私の下調べに拠ると城崎温泉は文豪に好かれた温泉のようだ。文学に疎い私でも知っている、かの有名な志賀直哉氏が城崎をモチーフにした小説を書いていたそう。時間もあるし読んでから行こう。大学の図書館で探すと赤い岩波文庫(古いせいか厚紙で包まれており真っ白だったが)の短編集『小僧の神様他10扁』に『城の崎にて』が収録されているらしい。横にあった暗夜行路ごと借りてきた。

最初から飛ばさずに読む主義のため11の短編のうち最初の『小僧の神様』から読んだ。以下はあらすじと感想。

・あらすじ(ネタバレあり)

舞台はこの作品が書かれた1928年ごろの秋の東京だろうか。同じ秤屋で働く番台が言っていた旨い屋台の鮨屋の噂を聞きつけた、13,14歳ほどの仙吉という小僧は仕事の用のついでにその鮨屋に入るが、資金不足で1つも食べられず悔しい思いをする。居合わせたとある貴族院議員は可哀そうだと思いながらも勇気が出せず何もしてやれなかった。ある日その議員が偶然小僧のいる秤屋を訪れた。小僧は議員のことを覚えていなかったが、議員は小僧のことを認めた。そこで以前は出せなかった勇気をふり絞って小僧をとある鮨屋へと連れ出した。議員は先に店に代を払い小僧に名前も告げず去ってしまった。小僧はそこで鱈腹旨い鮨をご馳走になった。

その日家に帰った議員は善いことをしたにもかかわらず不思議と淋しい気持ちになる。しかしそれも日とともに跡形もなく消えていった。

一方小僧は、鮨屋の場に議員が居合わせていたことに気付かないので、自分に奢ってくれた「あの人」は自分の心を見透かす神様なのではないかと信じ込んだ。いつかまた「あの人」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れてくることを願って。

・考察

20頁ほどで文章も簡潔なので非常に読みやすく小中学校の国語の教科書に載ってそうな感じもするけどなかなか面白い(語彙力)。私的この小説の注目点は小僧に鮨をご馳走するという議員の粋な善行の後の双方の心理。自分はこれほどの善行をしたことがないのでわからないが、善行をしたら「自分善いことしたぞ!気持ちいい!」くらいの晴れやかな感じになりそうなもの。しかし議員は善い気持ちになるどころか嫌な気持ちになっている。

’’’自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持は。何故だろう。何からくるのだろう。丁度それは人知れず悪いことをした後の気持ちに似通っている。”’

この気持ちに対して議員は以下のように考察している。

’’’もしかしたら、自分のしたことが善意だという変な意識があって、それを本統の心から批判され、裏切られ、嘲られているのが、こうした淋しい感じで感ぜられるのかしら?”’

今までこのように考えたことはなかったのだが、これは分かる気がする。心からの善意ではなく、自分を善い人だと思われたいがための見栄じゃないか、偽善なのではないかと考えて苦しい気持ちになるのだろう。

反対に小僧は奢られたことを心から素直に喜び、神様だと心から信じきってずっと心の中に残っている。議員とは対照的に一点の曇りもない嬉しい気分である。しかしこの小僧の喜びは空しくも議員には届いておらず、むしろ気持ちは忘れ去られていってしまっている。叶わない話だが、議員にこの小説を読ませてあげたい。

・参考文献

志賀直哉『小僧の神様 他十篇』岩波文庫

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